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私がまだ幼かった頃、山田太一原作・脚本の「岸辺のアルバム」というテレビドラマをよく見ていた。倦怠期を迎えた夫婦の危機と子供たちが大人になる過程での苦悩、家族が崩壊してゆく様が描かれ、最後に水害により家が崩壊する。1974年の多摩川水害が背景にある。この水害で多摩川の堤防が決壊し、19棟の家屋が崩壊・流出したが、家を失った事のほかに家族のアルバムを失った事が大変ショックであったという被災者の話を山田が聞き、そこからドラマの構想が生まれた。ラストの水害で家が流されるシーンは、実際の報道映像が使用されている。(出典:ウィキペディア)
幼い僕を惹きつけたのは、「家」の持つ脆弱さと強靭さ、相反するその2面性である。脆弱さとは自然の脅威に対してはいとも簡単に崩壊してしまうこと。ラストシーンで川に流される「家」は模型にしか見えなかった。強靭さとは共同体としての家族をつなぎ止める器であり得ること。どんな状況下でも、その背景にはいつも変わらない室内の風景があった。どことなくいつも薄暗くて、湿っぽくって。それでもその「家」には包容力があった。
建物は物的存在以上の何かを表現していると考えるようになった。「生きられた家」という言葉がある。居住する人間の経験が織り込まれている時空間のことを指す。ドラマ「岸辺のアルバム」の田島家にとって「家」とは家族のアルバムそのものだったのかも知れない。
社会的構造が急激に変化していく時代の中で、家族という最小限の共同体の維持すら難しくなっている。僕は家族を支える器をデザインしたい。いつも黙っているが、いざとなったら頼りがいのある器を。
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東京都港区 Ok:h |
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